日風上人のことども

             住職 小野山  淳堂

 

御教歌

おもひ見ればとしは七そじあまりよつ  

   御用済にて帰るのであろ

 

 弥生・三月。暖かな陽気にすべての草木がいよいよ茂る「弥生(いやおい)」が「弥生(やよい)」になったといい、花は梅、桃、桜と咲き代わって我われの心をくすぐります。

 今月廿三日、新入園・新入学・新就職のお祝いをさせて頂きます。該当の皆さんは勿論、みんなでお祝いさせて頂きましょう。

 

 さて、前回までに日風上人ご一代のご結婚やご家族まで、大まかに紹介しましたが、そのご一代は波乱に満ちており、これからが本題であると言えます。そのご一代のご奉公を年代順に紹介すると次のとおりです。

 

ご誕生 安政三年正月十八日 (又は一月一日)

十一歳 慶応三年(一八六七年) 開導聖人の小姓となり、要人の名を頂く

十二歳 明治元年七月 開導聖人の大津法難に共に入牢を願うも許されず

    明治二年~廿二年は学徒のご奉公

三十五歳 明治廿三年 開導聖人ご遷化

三十六歳 明治廿四年 日聞上人に付き出家得度

     同年に美濃大地震が発生(六年間大垣弘通)

四十二歳 明治卅年 福井座事件

     同年 大津佛立寺住職

四十三歳 明治卅一年 日風と改名 大津より京都に転籍 同年 奈良本妙寺を再興

四十四歳 明治卅二年 金沢昌柳寺を再興

四十五歳 明治卅三年神戸佛立講支部を設立

     大阪助給庵(現清風寺)の佛立講入手に努力

五十三歳 明治四十一年 千葉県鷲山寺の院代に就任

五十六歳 明治四十四年 第二世講有日聞上人ご遷化

五十七歳 明治四十五年 大津佛立寺に帰山

            第四世講有日教上人ご遷化

五十八歳 大正二年 佛立寺改築に着手

六十一歳 大正五年 神戸支部(本法寺)設立に努力

     同年 岐阜・立ケ網町に新会場を設立

六十三歳 大正七年 日風上人御自ら一代を略記

六十五歳 大正九年 第三世講有日隨上人ご遷化

     同年 日隨上人のご遺言により第五世講有を宣言

六十七歳 大正十一年 講有(ご加歴)を公式にご布告

        同年 開導聖人卅三回御諱を奉修

        同年 十一月講有ご就任 

           十二月ご退任

六十八歳 大正十二年七月 講有晋位(嗣講有)

七十歳  大正十四年六月 根本道場(現本山)入手開始

        同年七月 講有退位

七十三歳 昭和三年 大津佛立寺開筵式奉修

七十四歳 昭和四年五月 大阪本妙支部(現日風寺)開筵式 

         六月 名古屋支部(建国寺)開筵式

         同年 八月廿日ご遷化

 

ご遺詠「我死なばやくなうずむな野にすてよ うえたる犬のはらこやせ」